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英国EU離脱と日本の貧困 逆転現象が招く社会問題

 近々のグローバル課題はイギリスのEU離脱による世界経済への影響だ。6月23日のイギリスの国民投票でEU離脱が決まったのを受け、欧州経済の先行き不透明感や金融市場の混乱などが懸念されている。ロンドンなどに支店を構える日本企業は移転を検討するなど、今度の離脱に向けたEUとイギリスの交渉が注目されている。グローバル経済への行き詰まりを表す象徴的な出来事だ。

 日本の国内の問題に目を向けると、老後破たんなど子ども、女性、高齢者など共通して貧困による生活が破たんする問題が身近な話題として取り上げられるようになった。多くの人々が不安を抱え、生きづらさを感じ、日本人海外長期滞在者が帰国し「モノが溢れていて気持ち悪い。精神的な豊かさがないと」と口に漏らす。

 このサイトの専門である移動や交通分野では、既存の公共交通や自動車移動の形態では、地域の移動が確保できない状態になっている。人口増加と経済成長が望めた大量輸送時代とは異なる発想で検討がなされるようになった転換期にある。

 グローバル、国内、そして移動の問題を考えるとき、私たちが生きるために一番大切なもの何か。個別ではなく共通して軸となるような、横断的に底辺でどっしり支えてくれるようなもの。それは何なのかを立ち止まり考える必要があるのではないだろうか。日本においては先進国と言われる国の中で、その一番要とする哲学的な議論が貧弱だと感じている。

難しいことを考えない現代の日本人

 残念ながら、この疑問を投げかけても日本人の多くの人は嫌がって考えようとしない。専門的なことに関する内容に関して意見を求めることは高度だとしても、自分の生活に関わる身近なこと、自分の仕事に関することを問いかけても、自分の考えを伝えることを躊躇するのではなく、難しいことを考えない傾向にある。

 これは何も一般の人の傾向だけではなく、専門家においても自分の興味関心のあることに対しては詳しいが、根底にある問題の問題は何か、他分野横断的な検討や哲学的な議論に興味を示さない人が多い。一方欧米などでは初等教育から自分で考え発言することを重んじる教育を展開したり、国境を接し常に移民、宗教、言語など多様な問題に直面する日本と異なる環境であり、社会学を学んだら経済学へと多層的に学問を積み重ね多面的に分析することが一般的であるなど、大学進学者であれば深いテーマに対しても何らかの意見を持とうと努力し、コミュニケーションに時間を費やす。

 このように日本では一番要の課題に対する議論が貧弱になる傾向にあり、問題の原因究明やそれに対する解決策を打ち出せず、問題を複雑化したり浪費するようになってしまっているように感じる。

そもそも何のための社会であり経済か

 通勤向けが中心の電車やバス。記憶に新しい公共交通でのベビーカーを折りたたむか折りたたまないか問題を通して、これまで子育て層の外出についてあまり着目されてこなかったことに気づくきっかけになったのではないだろうか。この問題からも分かるように、私たちの日本の社会は、経済が中心で暮らしはあまり大切にされていない。子育て層、高齢者、障害者などみなマイノリティなのだ。

 それでは何のための社会で経済なのか。何のための交通で移動なのか。経済もモビリティもツールでしかないにも関わらず、いつしか目的になってしまっているのではないだろうか。日本では通勤し給料を得ることが大切で、休みは欲しいが所得が上がるなら残業もする。最近では貧富の差の拡大、長時間労働、物質的には豊かでも精神的には満たされない暮らし、金融危機、環境破壊、経済成長だけでは解決できない難題が、社会には山積し、経済は自分を幸せにしないとうすうす気づく人も増えてきているが、経済成長の鈍化により暮らしがひっ迫し、人々の気持ちが下がり重い空気が社会全体を覆うのも事実で、経済成長こそ自分たちを幸せにするし、それ以外はやはりきれいごとに聞こえる風潮が主流だ。

 日本人に話すと鼻で笑われて相手にされないかもしれないが、世界的に注目されているのが「経済成長=幸せなのか?」という議論だ。経済指標が国の状態の良し悪しを教えてくれるのだと信じられてきたが、これからの時代、いままでのように経済成長を追い求めるだけで、私たちは本当に幸せになれるのだろうかと疑問視する声が経済学者の中でも多くなってきている。なぜならGDPなどの経済指標は子どもたちの健康、教育の質、楽しく遊ぶこと、夫婦のきずな、勇気、知恵、学び、思いやりなど、生きることを価値あるものにしてくれるものは何も図れないからだ。このような背景から日本でも注目されたのが、国民総幸福量の指標を取り入れているブータンや国民の生活満足度の高い北欧の国々だ。

 日本では唐突に述べたりすれば、まともに話を聞いてもらえないため、遠回しに述べてきたが、そもそも経済活動や社会は、「暮らし」をより良くするためのものであって、経済ををより良くするために、暮らしがあるのではない。この逆転現象が日本はかなり強い。多くの人は生まれた時から逆転現象の中で暮らしてきたためにそれが普通だったり、海外滞在経験や他国との交流や情報が少なく、日本国内のメディアを通じて感じ取ることが難しいため、この逆転現象に気づけないでいる。そのため「暮らし」をより良くするための技術や政策と謳って出てきたとしても、「暮らし」のためではなく、経済のための暮らしといった構造になってしまっているものが多いため、価値の低いものが多い。社会問題の根本をついた提案ができないから、付加価値や競争力も低下することになる。経済も暮らしも疲弊する状況になってしまっているのではないだろうか。

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