個人主義は悪いこと? 痛みを伴う集団から私事への移行

June 29, 2016

 「最近めっきり若い人が職場の飲み会にも参加してくれなくなった。いったい何を考えているのか分からない。自分たちの世代と働くことや会社への帰属意識もまるで違う」「最近の母親は、なっていない。子育てに対する考え方が昔と違ってきている」「町内会への活動などに若い人が興味を示してくれない」といった声をよく聞く。2016年4月からアラサー世代に着目したドラマ「ゆとりですがなにか」が話題となった。この記事を書いている本人もそのアラサー世代にあたる。

 関西の都市部から離れた農村集落地域で親族や地域の結びつきの強い地域で育ったので、幼少期からの記憶を呼び戻すと、確かに村や会社への帰属意識が強く、個人より集団を重んじる古き良き日本的な社会からすると、現在社会は大きく変わった。

 

 そこでこの記事では、現代社会の深層に流れる日本社会の基本的な動向の一つとして、私たちの暮らしに良いことも悪いことも生み出している「私事化」について考える。

 

良い面もたくさんある

 

 問題と捉えた場合、昔の良き日本社会と照らし合わせがちで、私事化は由々しきことだと考えがちであるが、私たちの人生に自由や選択といた機会を提供してくれている。特に日本の場合は階級社会ではないため、望めば望むほどに手に入るという環境を作り出してくれている。田舎の家族や集団のしがらみから逃れ自由を求めて多くの人が都市部を目指した。今も傾向の大小はさておき、憧れを抱く人は多い。「自分らしく」「自己実現」という言葉はまさにその象徴だ。

 社会病理学でも、私事化は否定的な現象ではなく歓迎すべきことで、社会の中で個のあり方を問い直す過程であり、個人の幸福追求価値が社会の中に浸透していくにつれて、個々人の権利観念への関心を高める「いじめ」「虐待」「過労死」「ドメスティック・バイオレンス」「セクシャルハラスメント」「ストーカー」などの社会問題もこうした一連の人権問題や差別問題への関心の高まりや社会的取組み進展と関連しつつ私事化という社会の動向の下で社会問題化したと肯定的に言及している。

 

私事化は個人にとって不利益なことも多い

 

 家族や村落や会社といった集団を単位にその集団の幸福化を最大化することで個々人の幸福を最大化させるといったかたちで日本社会は成り立ってきていた。あらゆる判断はその集団の長に委ねられてきたし、個々人は自分で考えたり意見を述べる必要性もなく、集団に守られてきたという特権もたくさんあった。そのかわりに自分の思うようにいかないことも多々あり、忍耐や我慢でつないできたことも多かった。

 私事化が進むことで、利己利害への関心が高まるため、集団への関心が弱くなる。時には利己利害が突出することもある。さらに、一見自由を手に入れたようであるが、その反面これまで自分を守ってくれていた集団の力も弱くなり、回り回って自分の環境を悪化させたり、これまで集団が行ってくれていた問題に対しても自分で対応しないといけなくなるこが増え、挙句の果てには自分で自立した生活が送れなくなるなど自分で問題を解決できなくなった時には頼るところが無いなどの損害やリスクも増える。

 私事化の潮流は集団へ回帰するといった流れはなく、ソーシャルネットワークなどによりむしろ加速化し社会の大きなうねりとなっている。

 

といっても、日本だけの話ではない。欧米では昔から個人主義だった

日本で大きな問題になるのは転換期だからではないか

 

 私事化は日本においては未曽有の社会的な大問題かのように捉えられることもあるが、欧米では、時代とともに変化はあり、個々の国で多様であるが、遠い昔から個人主義がだった。それでも北欧では国民の暮らしの幸福度や満足度は非常に高く、単一民族と言われる日本と違い、多様なバックグラウンドを持つ多様な人たちが同居しいても、社会はそれなりに成り立っている。

 日本で私事化が大きな問題になるのは“転換期”で、日本的に社会の仕組みそのものを見直さないといけない事態にあり、そのため個人主義の国よりも社会問題は深刻だからだ。社会問題だと認識し対応に迫られる世代は、集団の中で長い時間を過ごし、私事化やインターネット社会にに慣れていないため、個々人の幸福最大を支える集団といった思考に返れないし、日本的に考え直す方法が上手く見いだせず、若年層からの共感も得られずなお苦しくさせていると感じる。

 私事化した社会では当然教育のあり方も大きく変わる必要あがる。集団に判断をゆだねてきた過去と違い、個人のリスクヘッジのためにも、自分で考え判断する能力がなければ、個人は自分の幸福を最大化できないのだ。集団の中の集団員は同じ考えを持っていた時代とは異なり、考え方は十人十色の時代だ。日本人だから皆同じ考え方だどいう道理は通用しない。欧米の個人主義の国々での学校教育の共通点は、多様な意見や価値観の人を知り、否定することなく互いを理解し尊重し合い、常にコミュニケーションの中で関係性を保つ努力を徹底して取り入れていることだ。さらに学校での学びと社会を分断させることはしない。学んだことは社会へ還元させるために初等教育から社会に提言させる機会を設けていることろすらある。

 

 人口減少と少子高齢化問題で地方自治体や国家は「小さな政府」を推し進め、行政の諸機能はますます民間の手にゆだねられてきていっている。しかし昨日も言及したように、暮らしのための経済や社会という発想ではなく、経済のための暮らしという発想で、幸福追求のための社会活動という考え方を社会が出来なかったり、個々人が私事化の中での適切な振る舞いをできなければ、私たちの暮らしは支えきれないのではないだろうか。これからの個人に求められることは、集団からサービス与えられるただの傍観者ではなく、自分のリスクヘッジのために、共に動ける個人でなければいけないのだろうし、それは教育や社会がその個人を育てていかないと育たないと考える。

 

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